小説

「おはよう。ユウト、ユウカ」
「…おはよう。お母さん」



僕らの朝はお母さんに起こしてもらってはじまる。
お母さんに起こしてもらうと、気持ちよく目覚める事ができるから僕はこの習慣が好きだ。



「朝ごはんだから早く支度してね」
そう言って下の階へと降りていく母を見送って、まだ寝ぼけ眼な妹へ声をかける。



「ユウカ、朝ごはんだって準備しよ?」
「…ん」
それでもまだ眠たそうな妹を半ば無理やり洗面所へと連れて行く。



「ほらユウカ、歯ブラシ持って」
幼い妹の世話をするのは、お兄ちゃんである僕の仕事だ。
簡単に支度を終わらせ、ユウカの手を引きリビングへと向かう。



「おはようお父さん」「おはよ…」
すでに席に着き新聞を広げているお父さんの背中に声をかける。
「…ああ、ユウト、ユウカおはよう」
ちらりとこちらを見やって、すぐに新聞へと目を戻す。
お父さんはあまり僕らのことを見ようとはしないし、会話も最低限しかしない。
お母さんは「仕事で疲れているのよ」と言うが、僕は嫌われているのではないかと思ってしまう。



「ほら早く席に着きなさい」
お母さんに促され、僕らは席へと着いた。
机にはすでに料理が並べられている。スープからは湯気が上がりごろっとした野菜が見え隠れし、トロっと黄身がたれだしている目玉焼きの下からのぞく食パンはいいきつね色をしていて、なんともおいしそうだ。
妹も同じことを思ったのか、目を輝かせ机の上を眺めている。
僕らは顔を見合わせ、パチンと音立てて手を合わせてから、
「いただきます」と朝食へと手を伸ばす。
味は見た目通りにおいしくて、次に次にと口にほおばって言ったらあっという間に食べ終えてしまった。
その様子に対してかお母さんは僕を見て笑っていた。その表情が一瞬かげった様にも見えたが、目先のデザートへの誘惑にかられ、確かめることはできなかった。




「それじゃあ行ってくるわね。お留守番よろしくね」
朝の8時を回ったところで両親は仕事へと向かう。
それを玄関まで見送るのが僕らの日課となっている。
「いってらっしゃい、お母さん、お父さん。」「…いってらっしゃい」
僕のあとに続き妹も声をかけるが、お父さんは「ああ」と一言だけいい、外へと出て行ってしまった。




「それじゃあ今日は何して遊ぼうか」
戸締りをしてから、妹に尋ねる。
「…テレビ」
感情が少しだけ乏しい妹は、必要最低限のことしか喋らない。
「わかった、行こう」
リビングへと戻り、テレビをつけソファへと腰かける。



『今日の天気は…』
『…わあ、おいしそうなケーキ』
『悪いネコたんめ…』
『ハルトオオオオオオオオオ…』
『本日はここ横須賀からお送りしています…』



時に目的もなくチャンネルを変えていたが、そこでふと、ある旅番組で手が止まった。



『ここ、くりはま花の国では、ネモフィラ・ヤグルマギクといった花をはじめ様々なお花が植えられています…』



画面いっぱいに広がった、色とりどりの花に僕は目を奪われた。



「…きれい」
妹は目を見開き、身を乗り出して、テレビを見入る。



「すごいね…」
「…うん」
見たこともない景色に、世界に魅せられ、息をのんだ。
外にはこんなにもキレイな世界が広がっているという事実に胸躍り、同時に僕もこの景色をこの目で見てみたいという感情も湧き上がった。



ピンポーン
玄関からの呼び出しチャイムで一気に現実へと呼び戻される。



「…お兄ちゃん」
妹が不安そうな顔で僕を見る。
「うん、わかってる。」
そう言いながら、僕はテレビの電源を切る。
「しばらく静かにしていよう」
「…うん」



ピンポーン

もう一度チャイムが鳴らされたが、僕らは黙ってやりすごす。
「…いったかな?」
しばらくたって玄関へと様子を見に行く。
そこにはもう人影はなかった。
「もういないみたいだね」
「…うん」
僕らには、両親と決めた約束事がいくつかある。
そのひとつは、誰かが訪ねてきても絶対に、応対してはいけないということ。
その約束を守り、親の留守中はインターホンが鳴らされても、出ないようにと務めている。
「…お兄ちゃん」
「部屋に戻ろうか」
その後、僕らは部屋へと戻り時が過ぎるのをじっと待っていた。
日が沈み、時計の針が9を刺したところで両親が帰ってきた。
「ただいま」
僕らは玄関へと向かい、両親を出迎える。
「おかえりなさい。」
「今日はなにか変ったことはあった?」
毎日行われるお母さんの質問に、僕は誇らしげに答える。
「お客さんが来たけど、僕たちちゃんと約束守ったよ」
「ちゃんと約束守れたのね、えらいわ。」
そう言いほほ笑んだお母さんに褒められた、と嬉しくなって、僕はさらに話した。
「あとね、今日は二人でテレビを見ていたんだけどね、お花がいっぱいあるところがあったの!とってもステキなんだよ!僕もユウカもそこに行ってみたい!」
ねっユウカと妹に呼びかけると、ユウカも少し照れた様に、コクンと頷いた。
またお母さんも笑ってくれるだろうと思い、お母さんを見上げたが、その表情は笑顔とはほど遠いものだった。
目を見開き、眉をしかめ唇をふるわせながら「…そう。」と一言だけいい、そっぽを向いてしまった。
今まで見たこともないお母さんの表情に不安になり助けを求めるようにお父さんを見たが、お父さんは目を伏せるばかりで何も答えてはくれない。
「お母さん…?」
たまらなくなって声をかけるとお母さんはビクリと肩を震わせたあと、いつもの笑顔を僕らに向けた。
「お母さんたち今日とっても疲れたからその話は明日聞くわね」
顔は笑っているのにどこか冷たく突き放されるように言われ、僕らはそれ以上何もいえなかった。
翌朝。普段ならお母さんに起こしてもらって目覚めるのだが、今日は二人とも自分で起きることができた。
昨日の出来事はひっかかっていたが、はじめて自分で起きれた事がうれしくてお母さんのもとへと急ぎ足で向かう。
キッチンで料理をしているお母さんを見つけ、声をかける。
「お母さんおはよう!」「おはよ」
声高に叫んだことで驚かせたのか、お母さんは調理中の卵を落としてしまった。
「あ…ごめんなさい」
「いいのよ。それより今日は自分で起きれたのね。」
落ちてしまった卵処理の為、床にしゃがんでしまったお母さんの表情はわからないが、声の調子がいつもと同じだったので僕は安心して話を続ける。
「そうなんだ!すっきり起きれたし、もうお母さんに起こしてもらわなくても大丈夫だよ!」
胸を張り、拳で胸をトンと叩き誇らしげに語る。
「……そうね。もう私が起こすことはないわね。」
片付け終わったお母さんがやっとこちらを振り返る。
僕は、お母さんの顔を見て後退ってしまった。
ユウカも後ろに下がり僕の手を握った。
「そうそう、昨日話していたお花がいっぱいあるところに今日連れて行ってあげるわ。あなた達の成長を祝ってのご褒美にしましょう。お父さんも一緒に家族みんなで出かけましょう。楽しみだわ。さあ、そうと決まれば早く支度していらっしゃい。お母さん頑張ってお弁当作るからね。ユウトの好きなハンバーグにユウカが好きなイチゴも入れるからね。お花の真ん中でお弁当広げて仲良く食べましょうね。」
捲し立て、有無を言わせないお母さんから逃げるように、部屋へと向かった。
部屋へ入り一息ついたところで、先ほどのお母さんを思い出す。
振り返ったお母さんは確かに笑っていたが、目の下に隈を作らせ、腫れ上がったまぶたから血走る眼で僕たちを見下ろしていた。
お母さんに恐怖の念を抱くなんて申し訳ないと思うけれど、今思い返しても背筋が凍ってしまう。
「…おにいちゃん」
声をかけられてやっとユウカが怯えていることに気付いた。ユウカも怖かったのだろう、震えるユウカを抱きよせて、安心させる様に話しかける。
「大丈夫だよ。お母さんきっと疲れているんだよ。今日一緒にお花畑にいったら元気になるよ」
「…うん」
「だから僕らも楽しもう。僕たちが悲しい顔してたらお母さんだって悲しくなっちゃうよ」
「うん」
「ほら笑って。なんていったってこれから、昨日観たあの素敵なところへ行けるんだから」
「うん!」
笑顔になったユウカを手伝いつつ、身支度をする。
お気に入りの洋服を着て、髪を整え、ユウカにうさぎさんを持たせてあげて支度完了だ。
「じゃあいこっか」
「うん!」
「したく、終わったよ!」
いつの間にか身支度をしていたお父さんと、お母さんに声をかける。
「じゃあ行きましょう。」
「うん!」
先程の恐怖をぬぐう様にできるだけ明るく振る舞い返事をし、先導するお父さんとお母さんの後に続き車へと向かう。
車に乗り込んだ後、お父さんとお母さんは小声で何かを話していたが、後部座席にいる僕らには聞こえなかった。
「今日行くところはね、少し遠いところにあるのよ。でもそのかわりとっても素晴らしいところだからね。」
振り返らずにお母さんは話す。
「シートベルトしっかりしめて、ああ、あと今日は日差しが強いからカーテンしっかり閉めるのよ。」
僕たちを気遣い、そう話すお母さんはいつもの優しいお母さんで、僕は安心した。やっぱりお母さんは疲れていただけなのだと。
短い返事をし、言われたとおりに窓に着けられたカーテンを閉める。
「それじゃあ出発しましょう」
お母さんのその言葉が合図の様に、エンジンがかけられ車は発進した。
お父さんは相も変わらず言葉を発しないが、それもいつも通りと納得し、カーテンの隙間から外を眺めることに徹する。
近所の小道、商店街、大通りを走り抜け、高速道路へと入る。高速道路へ入るとあまり景色が変わらないので、同じく外を見ていたユウカは飽きてしまい、うさぎさんと遊び始める。しかし僕はそれでも外を眺めつづけた。
高速道路を抜け、すぐに人気のない裏道を通る。知らない土地だったので眺めていたかったが、近道だとお母さんが言ったので先の景色を想い、しぶしぶ何もない道を眺める。
しばらくすると、木々が茂った通りへと出た。木漏れ日が届かないのか、進むにつれて段々と薄暗くなっていく。
こんな森にお花畑などあるのかと疑問を持ったが、きっと誰も知らない穴場を見つけてきてくれたのだと考え、胸を躍らせる。
さらに奥へと走ったところで、車は停止した。
あたりを見回したがやはり木しかないことに首をかしげる。
「もう少し歩いたところにあるのよ。」
そう言い、車から降りるお母さんとお父さんに続き僕らも車を降りる。
道なき道を進み、数十分歩いたところで、大きな広がりへと出た。
瞬間、僕は息をのんだ。鳥肌が立ち、心臓が小刻みに動いていることがわかる。
そこには、辺り一面に広がる色とりどりの花が存在していた。
目を見開き、辺りを見渡す。テレビで見ていた景色とはまるで違い、目に直接届くその色彩は本当に色鮮やかで、見ているだけで人を楽しませる。そして鼻をくすぐる花々の匂いは顔を綻ばせた。
僕の知らない素敵な世界が存在し、それを知ることができた喜びと感動から、涙を流す。そして同時に思い出す。僕らは感謝しなければならないと。
振り返ると、同じように泣いているお母さんとお母さんの肩を抱くお父さんの姿が目にはいる。
ユウカの手を引き、お母さんたちの元へと近づく。
大人気なく泣くお母さん、うっすらと涙をうかべるお父さんに告げる。
「お父さん、お母さんありがとう。」
「ありがとう」
ユウカも僕の後につづく。
「こんなに素晴らしい世界を教えてくれて、…僕らを育ててくれて、家族として過ごせたこと、誇りに思うよ。僕らは幸せを感じることができたんだよ。本当にありがとう。」
そう言い満面の笑みを見せる。
お母さんはついに泣き崩れてしまう。悲しい顔は見たくないのにと思うけれど、それも仕方のないこと。
「お別れなんだよね?」
お母さんの目線に合わせ、しゃがみ問いかける。
お母さんはコクンと首を縦に振る。
「じゃあ僕らはおやすみするね。また、お母さんに起こしてもらえれば目覚めるからね」
起り得ないことを口にし、悪戯っぽく笑う。
そこでやっとお母さんも笑ってくれた。
「おやすみ、お母さん、お父さん。」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
僕とユウカの最後のあいさつに、お母さんは笑顔で返した。
そしてゆっくりと目を閉じる。意識がだんだんと遠くなっていく中、思い返す。
数か月前僕らが生まれた日のことを。
あの頃は言われたことをただただこなしていただけだった様に思う。いつの日からか自分で考え行動するようになっていたが、きっかけは思い出せない。そこから徐々に感情も芽生えはじめたのだろう。そこからは楽しい日々を過ごしていた。今思えばどこかぎこちない家族の風景に見えただろうが、僕にとっては円満であったと言える。そう、幸せだった。僕が僕であることに気付いて、幸せを口にするのはなんだか笑えてくる。



なぜなら僕はロボットだから。



本物のユウトとユウカはもうこの世にはいない。僕らが作られる少し前に天国へといってしまった。そのことが受け入れられない両親が僕らを生み出したんだ。
お母さんは本物の子供の様に愛を以て育ててくれた。お父さんが僕らを遠ざけていたのは、きちんとユウトとユウカの死を受け入れていたからなんだなと今になって気付く。
ロボットは機械でしかないけれど、心を持つことだってできる。実際に心を得る事が出来た僕が言うんだから間違いない。笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜怒哀楽を持つ人間の様にだってなれるんだ。でも感情を得る事は自分の力では叶わない。誰かの愛情を必要とするのだと考える。そこでもう一度、作ってくれたお父さん、愛をくれたお母さんに感謝する。短い日々だったけれどとても楽しかった。



ありがとう。